清く正しく総理になった人
ウチゲバかスキャンダル攻撃で総理になった人
あるいは、ちょっとなってもらった人
また、なるために努力してなった人
いろいろありますね。
我が色眼鏡で見てみると、また違った感じもあります。
家族には、政治家の居る血統というか、小さいころから政治を見て育った人。
子孫にも政治家になって欲しいと思っているだろうと思われる人。
或いは、全く政治の家系ではない人。
どうも、大きな違いがあるように見えるのです。
この色眼鏡には。
外国にたいして、国民に対して、総理の気持ちだけで詫びる土下座する、批判する。
自分の一時の慰めの言葉でその場を凌ごうとする。
その後の国家はその一つの言質に対して、苦しむのである。
しかし、政治家の家系や子孫を政治家にしたい人は、このような一時の自分を慰める言葉は泥まみれになっても吐く事は無い。
なぜなら国家が子孫が苦境に陥る事を案ずるからであろう。
異なる場面では異なる行動が行なわれるのはまたしかり。